2025年05月
華やかな貴族文化が花開いた平安時代(794年〜1185年)。
源氏物語や枕草子といった文学の名作が生まれたこの時代は、日本文化の源流の一つともいわれています。
では、当時の女性たちはどのように生きていたのでしょうか?
今回は、平安時代における女性の役割・美意識・暮らしぶりなどを、現代の視点から見つめてみましょう。
貴族女性は“見せない美”を追求していた
平安時代の貴族社会では、女性は人前に顔を出すことはほとんどなく、**几帳(きちょう)や御簾(みす)**の陰から人と接することが基本とされていました。
そのため、現代のように“顔立ち”で競う美ではなく、
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漂う香り(香のたきしめ)
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衣の色の重ね(十二単など)
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教養ある手紙や和歌
といった「見えない部分の美しさ」が重視されていました。
まさに、想像の中で完成される美といえるでしょう。
恋愛と結婚も“夜這い”スタイル?
平安時代の恋愛・結婚観は、現代とはかなり異なっていました。特に上流階級では、「通い婚(かよいこん)」と呼ばれる形が一般的で、
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男性が女性のもとへ夜に通う
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女性の家で関係が深まると結婚へ
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夫婦は別居したままのことも多い
というスタイルが基本。
その中でやりとりされる**恋文(和歌)**が愛情表現の手段となり、言葉のセンスが恋の勝敗を左右しました。
教養ある女性=理想の妻
貴族社会では、女性も読み書きができ、和歌や漢詩、物語を書く力が求められました。
清少納言や紫式部といった女性作家たちは、宮中での経験や思いを作品に残し、平安文学の黄金時代を築きました。
つまり、美しさ+知性が女性としてのステータスであり、単なる装飾的存在ではなく、文化を支える知的存在でもあったのです。
一方で庶民女性の暮らしは現実的
華やかな貴族とは異なり、庶民の女性たちは、農作業、手工芸、家事などに従事し、家族を支える存在でした。
彼女たちにとっては、生きることそのものが“生活”であり、結婚や出産も現実的な選択として捉えられていました。
庶民層の女性には、今のようなロマンチックな恋愛よりも、地域社会での協力や実務能力が重視されたといえます。
平安女性に学ぶ「静けさ」と「強さ」
現代と比べると、閉ざされた環境に思える平安時代の女性たちですが、その内面には豊かな感性と知性、そして繊細な“自分らしさ”が宿っていました。
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言葉で想いを伝える力
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香りや色で自分を表現する工夫
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限られた環境で磨かれた心の深さ
これらは、現代の私たちにも生き方のヒントを与えてくれるのではないでしょうか。
まとめ|静かに、しなやかに生きた女性たち
平安時代の女性は、見えない美をまといながら、内面の豊かさで人生を紡いでいました。
「控えめでありながら、芯が強い」――
そんな姿に、今の私たちが忘れがちな日本人らしい美意識を感じずにはいられません。
心の静けさの中に、ほんとうの強さがある。
それが、平安時代を生きた女性たちの生き様なのかもしれません。